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『「好き」を力にする NBAプレーヤーになるために僕が続けてきたこと』 渡邉雄太選手 を読んで

2020-01-11


『「好き」を力にする NBAプレーヤーになるために僕が続けてきたこと』を読みまして、渡邉選手がなんでNBAプレーヤーになれたのか、かんたんにまとめてみました。


筋金入りのバスケ一家に育つ

お父さん、お母さん、お姉さんのバスケ経歴がすごい


渡邉選手のご家族は皆さん経歴がすごいんです。

お父さんの英幸さんは、旧日本リーグの名門熊谷組、、、

お母さんの久美さんは、シャンソン化粧品&日本代表、、、

お姉さんの夕貴さんは、桜花学園からのアイシン・エィ・ダブリュ、、、

で、それぞれ活躍されておられました。

日本でバスケットボールをしたことがある人なら一度は聞いたことがあるチームばかりです。


家庭での話題がバスケばかり

ご家族のバスケの経歴がすごいだけではありません。

著書のエピソードで渡邉選手の友達がご実家に遊びに行かれた際、ご家庭での話題がバスケばかりで驚かれたそうです。

バスケの情報のインプットとアウトプットをするのが当たり前の環境だったんですね。


お父さんのサポート半端ないって

渡邉選手は小さい頃に「NBAプレーヤーになりたい」と言って、お父さんはその夢を否定せず「NBAプレーヤーになるためにはXXX」とサポートされました。

渡邉選手は小学生の頃、シューティングを1日1000本やっていたらしいです。

そして、そのリバウンドをお父さんが拾ってくれたらしいです。

1日1000本打つ方も打つ方ですが、拾う方も拾う方です。

わたしは高校生の時にスタメンで出ている選手のシューティングのリバウンドをよく拾っていたのですが、最高でも1日700本でした。

1日700本拾うのでも相当きつかった記憶があるのですが、桁が1つ上がって、1000本ですよ、1000本。

お父さんは仕事前の早朝や仕事終わりに2,3時間練習に付き合ってくれた、と著書で述べられているのですが、どれくらいの期間付き合ってくれたのか気になるところです。

また、渡邉選手の試合の動画を録画し、やればできるプレーをやってなかったときなどに叱責されていたらしいですが、それも息子が出た試合を観続けていないとできないことだと思います。

この著書で述べられてることに誇張がなかったとしたら、

お父さん、、サポート半端ないって

著書を通して、お母さんについて述べておられる箇所が少なかったのですが、渡邉選手の夢とお父さんがサポートしてることに理解を示し、バスケ以外のところをサポートされていたのではないか、と思われます。

というのは一般家庭だったら、「勉強しなさい」「あなた、お仕事は大丈夫なの!?」ってなると思います。

渡邉選手がNBAプレーヤーとして、さらに活躍すればご両親も著書執筆の依頼がくると思いますので、どうやってNBAプレーヤーを育てたのか、ご両親視点で執筆いただきたいところです。


バスケの練習が趣味

小学生で1日1000本シューティング

前述してますが、小学生で1日1000本は信じられません。ご近所で話題にならなかったんでしょうかね?

「渡邉さんとこのお宅はヒソヒソ」的な、、、

趣味がゲームでも、漫画でもなく、バスケ

わたしがバスケを現役でやってた頃、シュートがうまい選手になんでシュートがうまいのか聞くと、

「実家にバスケのゴールがあって、そこで毎日シューティングしてた」

という話をよく聞いたのですが、これからこの話を聞く際は何本くらい打ってたかも合わせて聞いてみようと思います。

1日で1000本はちょっといないんじゃないかと思いますが、、、


うまくなるのがうまい

好きこそものの上手なれ、といわれますが、渡邉選手はまさにそうです。

尽誠学園におられた時は、シュートレンジがポストやフリースロー近辺で試合前のアップでもその辺りからよくシューティングされてました。

それがジョージ・ワシントン大学に進学されてからはスリーポイントまで広がっていきます。

大学2年目には一時期シュートが入らなくなったらしく、ディフェンスを練習するようになります。

大学4年目にはジョージ・ワシントン大学が所属するカンファレンスで最優秀ディフェンス賞を取れるようになるまでうまくなります。

さらにフィジカル面ですが、尽誠学園におられた頃の渡邉選手のことを観たことがある方は誰もが「細っ!」と思ったはずですが、今はかなりがっしりされてます。

(それでもNBAやGリーグの中では細い方ですが)

渡邉選手はうまくなるのがうまいです。着実にうまくなっていってるのが、外からみててわかります。


素直で謙虚な性格

中学の時の成長痛

渡邉選手は中学生の時、成長痛があった為、ハードな練習を当時のコーチに止められていました。

ミニバスで香川県No.1プレーヤーと言われるくらいうまかったらしいのですが、練習が満足にできなかったため、周囲の選手が渡邉選手よりうまくなっていく様子を目の当たりにしています。

それでも「高校で花開けばいい」と言ってくださったコーチの指示に従っています。

ここでコーチが渡邉選手のことを考えずに、成長痛なんて誰でもあることだから、多少痛くてもがんばれ、と言ったり、、、

周囲に取り残され、逸る気持ちを抑えきれず、コーチのアドバイスを聞かずに無理して練習していたら、、、

身長の伸びが止まったり、膝を痛めたり、もしくは痛い膝をかばうために他の関節を痛めてしまってたかもしれません。


高校の時に調子に乗らなかった

著書には尽誠学園のコーチのセリフがいくつも述べられています。

「練習の態度であっても、私生活の態度であっても常に日本一の高校生でありなさい」

「チームを勝たせられる選手になりなさい」

「いい顔でバスケットボールをしてください」

「失敗した人とは、成功しなかった人のことではなく、諦めた人のことだ」

渡邉選手は高校2年生の時に日本代表に当時では最年少で選ばれています。

それでも調子に乗ったり、おごらなかったのはコーチが要所で適切な言葉を渡邉選手に話し、渡邉選手も素直に耳を傾けたからだと思います。


高い行動力

バスケのゴールの設置場所を地主と交渉

お父さんにバスケのゴールを買ってもらったのですが、渡邉選手のご実家は住宅街にあったのでボールの撥ねる音が近所迷惑になりました。

これでは練習したくてもできない、そこで渡邉選手はどうしたか?

近所に空き地があり、その空き地の地主にゴールを置かせてもらえないか、とお願いし、置かせてもらえて、練習できるようになったらしいです。

しかもその空き地はアスファルトではなく、土だったので膝への負担も軽減されます。

近所の騒音になるから、といってそこで練習を止めてしまわず、どうしたらいいか考え、行動されてます。


高校進学の際、強豪校にスポーツ推薦で取ってくれと直談判

全国で優勝が狙える強豪校にスポーツ推薦で取ってもらえるように自分からコンタクトを取られてました。

中学の時は成長痛のために満足に練習できず(それでもジュニアオールスターの香川県選抜に選ばれてはいますが)、全国での知名度は高くなかったため、断られてしまいました。

断れてしまったものの、声をかけられなかったら、自分から売り込んでいく姿勢はこの時からあったようです。


日本の大学ではなく、アメリカの大学に進学

NBAプレーヤーになるのが目標だったら、日本の大学ではなく、アメリカの大学に進学した方が確率が高くなるはずです、NBAプレーヤーの大半はアメリカの大学出身なのですから。

ただ、今でこそ流暢に英語でインタビューに受け答えをされてますが、渡米前の渡邉選手はほとんど英語を話せず、しかも控えめな性格だったらしいです。

さらに渡邉選手は上背はあるものの細身だったので、フィジカルの強いアメリカのバスケでプレーするには大きなデメリットです。

日本の大学に進学していたら、おそらくどの大学に行っても1年生の頃からスタメンで出て、大学4年間無双状態だったと思います。

それでも潰されるかもしれない、リスクの高いアメリカの大学を選ばれています。


バスケのチームメイトと打ち解け、居場所確保

バスケでアメリカに留学するほとんどの選手は英語に苦戦すると思うのですが、渡邉選手も例に漏れませんでした。

渡米直後、日常生活には困ったらしいですが、バスケでは日本でもアメリカでもやってることは同じバスケなので、それほど困らなかったらしいです。

そこでバスケのチームメイトと打ち解けることで、自分の居場所が見つかったのでホームシックにならなかったらしいです。


大学の教授に課題提出、延長交渉

日本の大学は進学後、あまり勉強しなくてもいいですが(特にスポーツ推薦で進学していたらなおさら)、アメリカでは及第点以上の成績を残さないと試合に出れないどころか練習に参加すらできなくなります。

少しでもいい成績を残すためにはちゃんとテストでいい点を取るだけでなく、課題提出もしっかりしないといけませんが、バスケの遠征や試合が重なると時間が確保できません。

そこでバスケの遠征や試合があることに理解を示してくれる教授もおられ、課題提出を延長してくれる人もいるらしく、延長をお願いしていたそうです。


終わりに

ここにまとめた事柄以外にも著書にはいくつもエピソードがあり、あの時どう思って、どう行動したか述べておられてます。

渡邉選手は、

「本当に」バスケットボールが好きで

「本当に」NBAプレーヤーになりたかったんだな

と、思いました。

著書で述べられてる全てを真似しても、渡邉選手のようになれるわけではありませんが、参考になることはあるはずです。

ご両親がバスケットボール選手だったので身長や育ってきた環境に恵まれてはいますが、それだけが理由で渡邉選手はNBAプレーヤーになれたわけではありません。

両親が有名なバスケットボール選手という人は日本だけで考えても、渡邉選手以外に何千人といるはずですし。

NBAプレーヤーになれる確率を考えるなら、日本で生まれ、育った人よりアメリカで生まれ、育った人の方が遥かに確率は高いでしょう。

渡邉選手がNBAプレーヤーになれたのは小さい頃からNBAプレーヤーになろうと本当に思っていたことと、努力を努力と思わない程バスケットボールが好きなことに加えて、

恵まれた才能と環境、周囲のアドバイスに耳を傾けられる素直な性格、キャリアの分岐点では大胆に行動できる点、

また、自分のプレーの改善点がわかり、着実に改善できる点や、周りを観て自分の役割を客観的に把握できる点が挙げられます。

改善点が自分でわかって修正できるのは小中学生の時にお父さんがプレーを観て、適切な指摘をしてくれていたことが影響しているのでは?と思います。

わたしが渡邉選手を知ったのは渡邉選手が尽誠学園2年時で、ウィンターカップ2011の決勝で延岡学園と対戦した時でした。

初めて観た時の印象は「細っ!」でした。

それからもう9年経ちます。

日本を代表する選手になるとは思っていましたが、まさかNBAプレーヤーになるとは思いませんでした。

ルーキーシーズンは焦りがあったり、不慣れな印象でしたが、

2年目の今年は現時点(2020/1/11)ではNBAでの出場時間は短いものの、去年より落ち着いて堂々としていると思います。

なんとかロスターに入って欲しいですし、引き続き応援します。

以上になります。

※著書ですが、小中高大、Gリーグ、NBAプレーヤーになるまでのエピソードや考え方、行動したことがわかりやすい文章で書かれてます。NBAプレーヤーになりたい人、NBAプレーヤーになりたい人をサポートしたい人にとっては非常に貴重な内容になっています。