プログラマーになった経緯

2021-01-31


関西外国語大学という英語を専門に学ぶ大学に通っていたのですが、英語を生かして就職できるのは飛び抜けて英語ができる人か、帰国子女くらいでそもそも就職活動では英語の力云々の前にコミュニケーション力が必要なので大半の学生は英語は関係ない一般企業に就職する人がほとんどでした。

わたしの場合は在学中はホームヘルパーのアルバイトをしており、面談が苦手だったため、就職活動はほとんどせず、バイト先の医療法人から仕事を紹介してもらえたのでそのまま介護職に就きました。

特別養護老人施設で働かせてもらうことになり、要介護 5 の方や全介護が必要な方への介護はなかなか大変だったのですが、一通り仕事を覚え、介護福祉士の資格の勉強でもをしようかな、と思っていました。

が、ある日おばあちゃんをベットから車椅子へ移譲する際に膝を痛めてしまい、介護職をこのまま続けられないと思いました。

人と話すことが苦手だったので、正社員で総合職は無理だと思い、パソコン操作が身に付く派遣社員で事務職に就きました。

可もなく不可もなく、派遣事務を続けていたのですが、27 歳の時にリーマンショックがあり、派遣切りにあい、次の仕事を見つけるのに苦労しました。

この時に専門性の高い仕事、もしくは替えのきかないものをもっていないと将来がない、と強く思いました。

また、データ入力などの仕事はいずれ自動化されるから事務職の仕事は失くなっていくと思いました。

このままでは危ないとはいっても、どうすればいいのかわからなかったので、そのまま派遣事務の仕事を続けていました。

その後しばらくして、29 歳の時に東日本大震災があり、仕事中に津波で建物が流される映像を見て、やりたいことを今やっておかないといつどうなるかわからない、と痛感しました。

当時バスケットボール観戦が趣味で東京によく行っていたのですが、これを機会に東京に引っ越して、もっとバスケットボールを観戦しとこうと思いました。

また、東京だったら、関西より仕事の数も種類も多く、プログラミング未経験でも OK なアルバイトもあったので、プログラマーになれるチャンスがあるのでは?という期待もありました。

上京してもしばらくはそれまでと同じように派遣事務の仕事に就いて、土日はバスケ観戦をしていたのですが、漠然と抱いていた将来への不安がどんどん強くなっていきました。

不安は募っても、具体的にどうしていいかわからなかったのですが、当時プログラミング学習サイトのドットインストールがサービスを開始していたので、HTML, CSS, JavaScript, jQuery などを動画を貪るように観て、見様見真似でプログラムを書いていました。

職場でもエクセルの VLOOKUP や関数を使った自動入力の仕組みを構築して、チーム内に取り入れられたりしました。

いい加減このまま派遣事務を続けてるのは危ないと思い、派遣契約が期間満了の際に契約を延長しないことにしました。

そして、ハローワークに行った時に、求職支援訓練の受講者募集のチラシがあり、その中の Android 開発講座が目に止まり、「これだ」と思い、申し込みました。

そこから半年間で Java、XML、Android 開発を勉強し、卒業制作を作りました。

講座内容だけでは物足りず、ドットインストールや YouTube の TheNewBoston のチャンネルを観て、写経したり、カスタマイズして動かしたりしていました。

求職支援訓練終了後、SES 系の会社にアルバイトとして時給 1000 円で採用してもらい、1 ヶ月後に業務委託として、働き始めました。

プログラマー 1 年目はなかなか現場に定着できず、転々と現場が変わりましたが、その間も本を読んだり、アプリを作ってみたりと勉強は続けていました。

派遣プログラマーになってからも単発の現場が多かったのですが、経験を積み、独学も続けていたので、以前より成果を出せるようになってきました。

成果を出せるようになり、経験も積んできたことで自信がついてきたので、フリーランスとして活動することにしました。

明確に成果を求められる厳しい環境の方が性に合っていると思ったからです。

今後も勉強を続け、より良い成果が出せるよう取り組んでいこうと考えております。